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ママのためのイライラトリセツ

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私の子育て暗黒時代

初めての子が、ひといちばい繊細で敏感なタイプでした。初めての子育てで、子育てについて何も知らない私は、子育てで深く悩むことになったのです。

🔹さくさく読む目次

子育て暗黒時代。いつもギャン泣きする娘

赤ちゃんの頃から、娘はこんなタイプでした。家の中でも私から片時も離れず、支援センターに行っても、私の側から離れずじーっとみているだけでなかなか遊び出さない。お外を歩けば、3歩で、抱っこ抱っこ。重くて、おろしても、すぐまた抱っこ抱っこ。眠たいのが苦手で、でもすぐに眠れず機嫌は終始斜めで午前中からギャン泣き。ご飯も興味なく、食べさせれば食べるけどほおっておくと1口も食べない。少し大きくなると好みが出てきてパンしか食べない。

そんなときに、弟が誕生。弟が生まれたとき、娘は1歳8ヶ月。そこから息子が生後4ヶ月くらいになるまでの間が一番、辛く苦しい日々でした。息子におっぱいをあげるたびに隣でギャン泣きする娘。息子をだっこするとギャン泣きする娘。小さな息子をなかなか抱っこしてあげることができませんでした。

常に娘中心で動いているのに、娘はいつも不機嫌で、午前中、午後、夕方、お風呂、寝る前…ほんとに寝てるとき以外ずーっとずっーっと泣いていました。娘は弟が生まれたからの環境変化に適応できず不安定になって、夜中の3時に起床したり長くても5時くらいまでで、起きてしまう。冬だったのでまだ真っ暗…。だから眠たい。でも、寝れない。些細な音で起きてしまう。起きるとすぐ「下に行く〜」と言って(2階建てなので)、1階でずっと暗がりの中抱っこ。寝たかと思って布団に置けば、背中スイッチ!すぐに起きてしまいます。

息子の夜の授乳のときも息子が声を出す前にフガフガ言い出したくらいで私はバッと起きて、娘が起きないようにしずかーに、音を立てないように授乳。息子の夜中の授乳も重なり頭がおかしくなりそう…旦那の帰りも遅く、隣に住む義母さんにも、この頃は助けを求められず(仕事もしてるし)、完全にワンオペ育児の中でのことでした。

1日中、家の中で泣き声を聞いていると、本当にうつ病になりそうでした。だから、息子も小さく出掛けられない内は、友達にちょくちょく家にきてもらったり、息子が生後2ヶ月になってからは、早めの支援センターデビュー。さらにこのままじゃ、育児ノイローゼになりそうで夫にラインで「もう無理。お願いだから今日は早く帰ってきて!」と助けを求めました。

それから夜中の娘の対応は夫に任せることができました。睡眠時間の確保、娘へ無駄にイライラをぶつけなくても済むこと、夫への感謝、で何とか乗り切っていました。

 

保育園を辞めました

娘がHSCというひといちばい敏感なタイプであることを本で知り、まもなく私は育休中だった会社に復帰しました。待機児童も多い地域で娘と息子は、バラバラの保育園になってしましたが何とか預けることができました。

当時、息子は1歳になったばかりだし人見知りも少ないタイプだったのですんなりと慣れてくれました。しかし!!娘は全っ然、適応しませんでした。2歳8ヶ月で入園した娘は、預けた瞬間から、私がお迎えに行くまでほとんどずっと泣いているんだそうです。食事も、やっぱりほとんど食べずお昼寝もすぐ起きてしまう…。

挙げ句の果てに今まで風邪を鼻風邪もあまり引かなかったのに、精神的なものもあるのか、発熱→保育園から電話の応酬。復帰した当日に、熱があると電話がきてちょうど上司と外出している最中だったのに会社に引き返したり…。ただその時だけ熱が高い(帰宅後下がってる)、やれ発熱、インフルエンザだので、復帰してから3ヶ月で実に半分も休みや早退をしました。11月復帰だったこと、二人同時に入れたことがこんなに休むことになってしまった原因でしょう…。特にインフルエンザの時は息子→娘→自分の順番でかかり、2週間お休みしました。

多少の休みは覚悟してたし、職場の皆さんも、「今だけだよ〜」と優しく見守ってくれました。でも、私は予想以上でした。さらに、娘の泣いている姿を見るのも、想像するのもキツかったです。しかも、仕事の内容的にその日やればおしまいではなくて、次の日にも続いていく仕事だったので毎回引き継ぎをしなくてならず、本当に苦しかったです。

そこで、保育園に預ける日を少なくして長い時間かけて慣らしていこうと思い週3〜4日で働ける職場へ転職を考えました。少し勉強のいるものだったので試験までは連日連夜、夜更かしをして猛勉強。書類選考を通り、面接の日。娘、まさかの、発熱。「転職するなということ?」さらに、予定を変えてもらった日もまさかの発熱。でも、実はこの日は二度とこんなことがあってはいけないと思い夫が有給を取ってくれていました。そのおかげで、無事に面接を終えそして、めでたく【合格】をいただきました。

でもでもでも、本当にそれでいいのか?やっと入れた保育園だけどそのために働く必要あるのか?今は一緒にいてあげたほうがいいのでは?また、この仕事を休んで、迷惑をかけるのでは?内定までいただいたのに、心がざわつき始めました。合格をいただいてから採用承諾の連絡期限までの数日間、今までの人生で一番、考えました。本も読み漁りました。

考えているうちに、せっかく入れた保育園だとかそのために働くとかそんなことじゃなくて、娘にとって、本当にいい選択は何だろう? という思いに変わっていきました。大体の育児本には、「保育園に入れる罪悪感は感じる必要はありません」とか、「人生初めての行くという義務を教える」とか、「長い時間かければいつか慣れる」などと書いてありました。周りの人に聞いても、「長年勤めてきた会社を辞めるのはもったいない」とか、「育休明けすぐやめるのもおかしい」なども言われました。全部その通りだと思います。何も間違ったこと言っていません。

でも、私は結局仕事を退職して保育園を辞めることを選びました。理由はこの3つです。

・育児の勉強をしたことで今までの自分の接し方にたくさんの間違いがあったと分かりもう1年どこにも預けずにしっかり一緒にいたいと思ったから。仕事はいつでもできるけど娘にとっての1年は人生で、今しかない。
・直感的に娘には集団生活は早いと思ったから。
・幼稚園なら娘にあった園を選んであげられるから。
 

これらの理由からこの子は「年中になったら、幼稚園に通わせてあげよう」と思ったんです。あと1年、しっかり向き合おうと。本当に数日間、悩んで悩んで出した結論でした。そして、内定を辞退し、10年近く勤めてきた会社を退職しました。それから、また、子ども2人と過ごす日々。

あのとき保育園にそのまま通わせていたら?と思うこともあったり、イライラをぶつけてしまってしまったときは申し訳ない気持ちでいっぱいだけど…そんなこと思っても仕方がない!私が決めたことなんだから!!

 

娘の変化

それからの1年間、モンテッソーリの幼児教室に通い始めたり、接し方をだいぶ変えたり、子どもために環境を整えたり、自分なりの工夫でイライラする回数を減らしたり、様々なことをしました。

娘は、月追うごとにみるみると変わりました。HSC(ひといちばい敏感な子)は生まれながらの繊細な気質を持った子というだけで、治すものじゃないと言えど、症状がだいぶ改善したんです。年齢的なものもあるかもしれないけど、私の接し方による変化が一番大きいと思います。

 

例えば、

泣いてもすぐに泣き止んで引ずらない
集中して取り組むようになった
意欲的で自分でできることを進んでやるようになった
抱っこ抱っこと全く言わなくなった
私から離れて、すんなりと預けられるようになった
何でも食べるようになった
前よりだいぶ寝るようになった
 

いまだに朝は自然と5時起きの娘ですが、朝ウォーキングを楽しめるのでちょうどいいと思っています。あーやっぱり親の接し方、一番大切なんだぁとしみじみ。

今は、娘が他の子と少し違う繊細な子だったからこそ、つまづいて苦しむ時期を経て、こうやって育児の勉強をして、子育てに興味を抱き楽しめていると思っています。そのきっかけを与えてくれた娘に、感謝です。これからもつまづくことがあると思います。でも、そうやってつまづきながら、ああでもない、こうでもないと回り道しながら、子どもと一緒に解決策を探していくのが子育てだと思っています。これからも頑張るぞー!

 

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